行動経済学入門

経済学と心理学の中間に位置すると言われる行動経済学についてしっかりと学んでいきたいと思います。

ヒューリスティック

人は正確な情報が得られない時、自分の経験や直感に頼って意思決定をしていることがあり、このことを行動経済学ではヒューリスティックといいます。




例えば、交通事故で死ぬ確率と胃がんで死ぬ確率、どちらのほうが高いと思いますか?


実はこれ、胃がんで死ぬ確率のほうが高いのですが、なぜかほとんどの人が交通事故での死のほうが高いと感じるのだそうです。


これはTVや新聞で交通事故の情報を得ることが多いということもありますが、日常生活で車を見かけないことなんてほとんどありませんから、身近に感じてしまい、死ぬ確率を高めにみてしまうのではないでしょう。


このことを「利用可能性ヒューリスティック」といって、物事の意思決定を下す際に、頭に浮かんできやすい事柄を優先して判断するという傾向が出ています。
まぁ、「車」と「ガン」であれば、どうしても車のほうが頭に浮かんできますからね。


また、代表性ヒューリスティックというものがあって、これは、ある出来事を考える時、その出来事に関して典型的な特徴を持つ内容に対する確率を過大に評価してしまうというもので、よくある解説では「リンダ問題」というもので説明されています。


どのような問題かというと「リンダという聡明で人権問題や反核デモにも参加した経験のある女性」についての想像問題で、下のような選択肢が用意されています。

  1. リンダは銀行員です。
  2. リンダは銀行員で、女性解放運動にも参加している。

さて、どちらを選びましたか?


実は、これ「リンダは銀行員」までは同じで、あとは「女性解放運動」に参加しているかどうかだけの違いです。


しかし、選択肢の前に「リンダという聡明で人権問題や反核デモにも参加した経験のある女性」という情報があり、その文言に囚われて、「2」を選んでしまうのだそうです。


でも、よく考えてみてください。


「銀行員のリンダ」は、人権問題や反核デモに参加したというだけで「女性解放運動にまで参加している」であろう確率はかなり低いですし、そもそも「正しい」確率を取るなら、ともに「銀行員である」という事実は同じなのですから、本来であれば「1」を選択しておけば、間違いはないのです。


にも関わらず、参加したかどうかもわからない「女性解放運動」に参加したかもしれないという不確定な確率の選択肢を選んでしまうのです。
不思議ですよね。


見方によれば「推測」によって、正しい情報を導き出そうという力が働いているのかもしれませんが、確実性が欠落しており、間違った方向へと突き進むという誤った判断をしているんですよね。


このように行動経済学には、数学や文献だけでは証明できない、人間特有の不思議な判断を説明しようとする面白さがあります。

行動経済学まんが ヘンテコノミクス

行動経済学って、知れば知るほど楽しいものなのですが、このご時世、なかなか活字を読もう!ってことになりづらいですよね?


そんなときには、佐藤雅彦、菅俊一、高橋秀明による「行動経済学まんが ヘンテコノミクス」なんて、どうでしょう?



これは、雑誌BRUTUSに連載された漫画作品を書籍化したもので、サザエさん並みに楽しく学べる唯一無二の一冊なのだそうですよ!!


これまでの経済学って、あまりに学術すぎて退屈であったり、ちょっと腑に落ちないこともあるのですが、行動経済学は学問でありながら、私達の生活を実に見事に体現していますし、知れば知るほど楽しいもの。


この漫画を機会に、ぜひぜひ行動経済学に興味を持ってみましょう!!!

幸福のパラドックス

ある調査によれば、所得の多い人ほど幸福である傾向が強いのだそうです。
まぁ、これはなんとなくわかりますよね。


「世の中はお金じゃない」なんていう人もいますが、残念ながらこれは間違いで、ある程度のお金がなければ、人並みの幸福感を味わうことはできません。




とはいえ、日本においては、所得が700万円以上になっていくと、その幸福度はほとんどフラットになるようで、ある一定の所得を超えてしまうと、その所得と正比例して幸福度があがることはないのだそうです。
逆に、低所得者の所得が多くなるとそれに応じて幸福になるようですが・・・


つまり、先程も言ったように、幸せにあるためにはお金が必要だけど、お金があるからといって幸福になるとは限らないのです。


確かにお金がありすぎると、相続の問題や変な人たちが集まってきて、不幸になっていく人々もいらっしゃいますからね。


今思うと、学生の頃、お金はありませんでしたが、アルバイトで必死になってお金を稼いでいる頃のほうが、なんとなく幸福だったような気がします。


というのも、お金がありませんでしたから、欲しいものを買うためにも何ヶ月もお金を貯めなければなりませんでしたし、欲しいものを得るために苦労をしました。


しかし、ある程度収入が増えてくると、必死になって貯金するということもなくなり、欲しい時に買えるようになると、その購入したものに対する愛情というのが、少々薄れてしまうような気がします。


やはり「幸せ」というのは、お金の多い少ないではなく、その「幸せ」の感じ取り方なのでしょうね。