前田壮一の行動経済学入門

経済学と心理学の中間に位置すると言われる行動経済学について私前田壮一がしっかりと学んでいきたいと思います。

人間の性質である損失回避

「利得が満足感を増やす度合いよりも、損失が満足感を減らす度合いのほうが大きい。」


いきなりなんのこっちゃ?って感じですよね。


このような人間の性質を「損失回避」というのだそうで、どういうことかというと、


「1万円で買った馬券が見事に的中し、2倍の2万円のお金をゲットしました。
次にそのうちの1万円を使い馬券を新たに購入したのですが、こちらは見事にすってしまうことに・・・。」


この場合、結果的には1万円が手元に残りますし、「儲けた1万円-すった1万円」=ゼロとなりますから、利得と損失は同じはずです。


しかし、実際には「的中したときに止めておけばよかった・・・」なんて思ったりしませんか?
前田壮一は、かなり後悔し自己嫌悪にさえ陥ったりします・・・。


つまり、同じ1万円の損失と利得であるに関わらず、人は損失のほうを大きく捉えてしまうのです。


ちなみに一般的には、損失は利得の2倍以上のインパクトを持つと言われているのだそうで、人は得られる物よりも、失う恐怖の方が大きいのです。


もともと人間の性質として、利益を前にすれば確実に利益を取る選択をし、損失を前にすればその全てを回避しようとする選択を行うのだそうです。


まぁ、そりゃ最もですよね。
好きこのんで 損失を受けたくはありませんし、確実な利益に飛びつきたいのは当りませです。


今回のことは、行動経済学における最も代表的な理論の一つであるプロスペクト理論というものの一部を紹介したのですが、今後もこの辺のことを深く追いかけてみたいと思います。








囚人のジレンマ

ある犯罪を犯した容疑者2人がいて、それぞれが別室で尋問されています。
そこでは以下のような取引を持ちかけられているのですが、その取引は容疑者2人に平等に持ちかけられているということを容疑者2人は知っています。


  • 自分だけが自白すれば、懲役1年
  • 相手だけが自白すれば、懲役15年
  • 二人とも黙秘すれば、懲役2年
  • 二人とも自白すれば、懲役10年


さて、あなたならどうしますか??


これ、かなり難しい選択を強いられますよね。
相手のことを考えずに選択するのであれば「自分だけが自白すれば、懲役1年」を選択したいところですが、もし相手も同じ考えで「自分だけが自白すれば、懲役1年」を選んだ場合、結果二人とも「二人とも自白すれば、懲役10年」となってしまいます。


さて今度は「二人とも黙秘すれば、懲役2年」が良さそうですが、相手が「自白」しないとも限りませんし、最悪の場合「相手だけが自白」となり、自分だけが懲役15年となってしまします。


それでは、相手が「自白」しないことに期待して「二人とも自白すれば、懲役10年」を選びますか??
上手く行けば、自分だけ「懲役1年」となりますが、相手が「自白」しないという根拠もありませんし、自ら「懲役10年」を選択するのは、なかなかできないことですよね。


これは、ゲーム理論や経済学において「個々の最適な選択が全体として最適な選択とはならない状況の例」としてよく挙げられる問題で、ゲーム理論におけるゲームの1つとなっています。


まぁ、この場合、容疑者2人にとっては、互いに裏切りあって懲役10年となるよりは、互いに強調しあって2年の刑を受ける方が1番なのですが、どうしても自分の利益のみを追求してしまうため、互いに裏切りあうという結果になるのだそうです。


しかし、これ、ゲームという感覚で考えるから気楽ですけど、実際にこのような状況下におかれた場合、また違った感覚が生まれてくるのか知れませんね。




利己性と利他性

自分のことだけしか考えない、自分の利益だけを追求するような自己中心的なことを利己性と言います。
言葉にするとかなり嫌な人間に思われるかもしれませんが、大なり小なり、人間は利己的な部分を持っています。


またこの利己的という言葉に対比する言葉として「利他的」という言葉があります。
まぁ、あまり日本語としては馴染みのない言葉ですよね。


しかし、これは英語では「altruism」と言って、どうやら英語ではよく使われる言葉なのだそうで、「利己的」とは真逆の意味、つまり「他人のために何かをする」性質や行動のことで、例えば、ボランティアや寄付行動などがこれにあたるのだそうです。


「利他的」て素晴らしい!!!


なんて思った方、実はこの「利他的」にも2つの意味合いがあるようで、ひとつは純粋に「他人が喜ぶのが嬉しい」というような見返りを望まない「純粋な利他性」と、その行動によって、相手からのお礼を期待したり、自分の正義感が満たされるというような「利己的な利他性」というものがあるのだそうです。


まぁ、そんなふうに見てしまうと、かなり意地悪になってしまいますけどね・・・。


でも、考えてみると、実際の生活においても、「あれほど親切にしてやったのに、なんの連絡もよこさない!!!お礼の一言もない!」なんてことは、ザラにありますよね。


これこそ「純粋な利他性」ではなく、「利己的な利他性」であり、一般的にはこのような思いは去来してしまいますよね。


受けた「恩」は返す、与えた「恩」は忘れる。


このような聖人的な考え方ができるようになるといいですね。