前田壮一の行動経済学入門

経済学と心理学の中間に位置すると言われる行動経済学について私前田壮一がしっかりと学んでいきたいと思います。

最後通牒ゲーム

登場人物は、あなたと友達です。


ある人から「10万円をあげるので、友達とわけあってください。」
「友達には「あなたに10万円をあげたこと」を知らせてあります。その中で友達に分ける金額をあなたが決めてください。」
「その金額に友達が納得したら、それぞれがお金を受け取ることができるのですが、あなたの決めた金額に友達が納得できなければ、二人共お金を受け取ることができません。」




これは「最後通牒ゲーム」といって、お金を貰った人が、お金を分ける人に渡すお金の金額を決め、お金を分けられる人がその金額を受け取るか、受け取らないかを決めるというゲームなのですが、なかなか面白いですよね。


多くの人は、3万~5万円という額で配分するようで、面白いことに「5万円」だった場合は100%の人が納得してお金を受け取るようですけど、なんと5万以上のお金の配分を受け取れるような場合に、数%の人が受け取りを拒否したのだそうです!!!1


これはちょっと驚きですね。
受け取る額が少ない時に、受取拒否するのはわかるのですけど、多く貰うのに拒否する人がいるなんて!!!!


やはり世の中、公平が1番なのでしょうね。





なぜか保険に・・・

保険ってみなさん入っていますか?


心の安心のために入っている人もいるようですが、人はなぜか「死ぬ、入院する」など起きる確率の低いものを重視し、その反対に「死ぬ、入院する」などの起きない確率を軽視しがちで、保険料を毎月支払っていたりします。



これは、どうやら人間は「恐怖」に対しては、それが起こる確率を高く見積もってしまうらしく、その災いが起こったときにどうするのかを考え、想像し、客観的な考えができなくなっているからなのだそうです。


もちろん、保険に入ることが悪いことではありませんよ。


これを行動経済学で見ると、大変興味深いのです。


というのも、毎月保険料を支払うというのは、よくよく考えると「損失」に当たりますよね。
そして、それが回収できるという保証はありませんし、それがいつなのかもわかりません。


もし、あなたが現在保険に入っているとしたら、毎月の支払額は知っているでしょうけど、これまでにいくら支払ったのか?をすぐに言うことができますか?


例えば、毎月1万円の支払いが10年続いていたとしたら、これまでに120万円の支払いを行ったということになります。


なかなかの金額ですよね。
この間に、入院などして助かったという人もいるでしょうけど、ほとんどの人はなんの問題もなく、お金を支払っただけなのではないでしょうか?


実は、大抵の人は、これまでに支払った保険料の金額を知らないことが多くて、実際のところ、ただただ支払っている安心感だけだという人は多いのです。


もちろん、これは望ましいことなのですが、支払っている保険料を貯蓄に廻したとしたら、一体どうなるでしょう?


ひょっとすると、貯蓄にまわしていたお金だけで入院費を賄うことができたなんてこともあるのではないでしょうかね?


「死」への恐怖に対しては、なかなか抵抗することはできませんが、ただお金を支払っているだけで、保険のことをちっともわかっていないなんて契約だけは止めておきましょうy。



ヒューリスティック

人は正確な情報が得られない時、自分の経験や直感に頼って意思決定をしていることがあり、このことを行動経済学ではヒューリスティックといいます。




例えば、交通事故で死ぬ確率と胃がんで死ぬ確率、どちらのほうが高いと思いますか?


実はこれ、胃がんで死ぬ確率のほうが高いのですが、なぜかほとんどの人が交通事故での死のほうが高いと感じるのだそうです。


これはTVや新聞で交通事故の情報を得ることが多いということもありますが、日常生活で車を見かけないことなんてほとんどありませんから、身近に感じてしまい、死ぬ確率を高めにみてしまうのではないでしょう。


このことを「利用可能性ヒューリスティック」といって、物事の意思決定を下す際に、頭に浮かんできやすい事柄を優先して判断するという傾向が出ています。
まぁ、「車」と「ガン」であれば、どうしても車のほうが頭に浮かんできますからね。


また、代表性ヒューリスティックというものがあって、これは、ある出来事を考える時、その出来事に関して典型的な特徴を持つ内容に対する確率を過大に評価してしまうというもので、よくある解説では「リンダ問題」というもので説明されています。


どのような問題かというと「リンダという聡明で人権問題や反核デモにも参加した経験のある女性」についての想像問題で、下のような選択肢が用意されています。

  1. リンダは銀行員です。
  2. リンダは銀行員で、女性解放運動にも参加している。

さて、どちらを選びましたか?


実は、これ「リンダは銀行員」までは同じで、あとは「女性解放運動」に参加しているかどうかだけの違いです。


しかし、選択肢の前に「リンダという聡明で人権問題や反核デモにも参加した経験のある女性」という情報があり、その文言に囚われて、「2」を選んでしまうのだそうです。


でも、よく考えてみてください。


「銀行員のリンダ」は、人権問題や反核デモに参加したというだけで「女性解放運動にまで参加している」であろう確率はかなり低いですし、そもそも「正しい」確率を取るなら、ともに「銀行員である」という事実は同じなのですから、本来であれば「1」を選択しておけば、間違いはないのです。


にも関わらず、参加したかどうかもわからない「女性解放運動」に参加したかもしれないという不確定な確率の選択肢を選んでしまうのです。
不思議ですよね。


見方によれば「推測」によって、正しい情報を導き出そうという力が働いているのかもしれませんが、確実性が欠落しており、間違った方向へと突き進むという誤った判断をしているんですよね。


このように行動経済学には、数学や文献だけでは証明できない、人間特有の不思議な判断を説明しようとする面白さがあります。